絵本のシミュレーション
いちばん大切なのは「質問力」というコンセプトをいつも意識する習慣をつけることだと思う。
できれば、「質問力」は確実にアップする。
「質問力」という言葉を耳について離れないようにすることで、効果がはっきりあらわれる。
コンセプトの力というものである。
今までまったく意識していなかった「質問力」という力を認識できるようになると、自分の質問の実力がどれくらいか、常にはかろうとするフィードバックが起こる。
実力の向上につながる。
その回路を作ることがこの本のいちばんの目的である。
本書を一冊読み終える聞に「質問力」というコンセプトに完全になじんでほしい。
私が大学院生の時、海外から招鴨した学者の英語の講演を聞いたことがある。
講演が終わったあと、質問タイムになった。
日本人はたいてい話が終わったところで質問を考えるので、すぐ手を上げる人はいないのが普通だ。
誠実に考えようとはするが、講演会が終わった瞬間から考え始めるから、聞かれた時に少し聞があいてしまう。
これでは話した側は非常に不毛な感じにおそわれる。
要するに「質問が出ないのは、自分の話が通じていないのだ」と受け取るわけだ。
ところが、欧米だと講演が終わった直後に質問が出る。
大前提だからだ。
私はわかっていたので、購演をノートにとるついでに質問もメモしていた。
私の場合、質問は三色ボールペンの緑色で色分けする。
相手の話をまず青で引いて、大事なところは赤にする。
すなわち、相手が話した客観的な事項は青と赤。
自分が主観的に思ったことは緑。
質問は主観なので、緑色で「?」マークをつけて、英語で質問の文章を書き、それをかっこでくくるか、丸でぐるぐる囲っておく。
どうしても聞きたいものは三重丸、それほどでもないものは二重丸や一重丸といった具合にグレード別にしておくと、講演が終わった直後にグレードの高いものから順に聞いていくことができる。
ベストな質問を1つだけ聞くようにすれば、それほど質の悪い質問にはならない。
何となく聞いてしまうから、質の悪い質問になってしまうのだ。
5個以上質問を作った中でいちばんよい質問をすれば、誰がやってもかなり精度の高い質問ができるはずである。
日本では考えて質問をするという、当たり前のことが意外に習慣化容れていないように思う。
答を要求される場合は考えて答えるのに、質問の時は深く考えず、何となく聞いてしまう。
テレビのキャスターレベルでも、「そんなことを聞いてどうする? よい答が返ってくるはずがないではないか」という凡庸な質問を平気でしていて、驚くことがある。
日本人の「質問力」に関する認識は欧米に比べて格段に低い。
「コメント力」も低いが、それ以前に「質問力」がまず低いと思う。
さて私は質問にグレードをつけたが、基準は何だろうか。
まず「個人的にどうしても聞きたいがおそらく他人には興味がないだろう」という質問は一番低いグレードに置く。
ところが講演会ではグレードの低い質問をする人が多い。
しかもたいてい前提となる自分の経験と知識を延々と話すからたまったものではない。
状況を認識していない質問の典型である。
2人きりならいいが、講演会では多くの人がその質問によって時間を奪われる。
そういう状況では、聴衆みんなのためになる質問を意識しなければならないのだ。
つまり「質問カー」は状況や文脈を常に把握するカーが賦されているといえる。
質問を聞けば、その人が場の状況やそれまでの文脈をどれだけ理解していたかが即座にわかってしまう。
非常に恐い指標である。
もっとひどい場合には、すでに講演者が話した内容を聞いてしまったり、講演者の真意を取らずに言葉尻を捉えて絡んできたり、あるいは自分の知識をひけらかすような質問や些末なことを聞いできたり、本当は自分も聞きたいわけでもないのに何となく言ってしまうことがある。
そこで私は自分の講演では、質疑応答の時聞を取ることを避けるようになった。
質問のレベルがあまりに低く、私が辛いというよりは他の聴衆が苦しいと思ったからだ。
私は教師をしているので、質の低い質問に答え続ける訓練を積んでいる。
つまらない質問に丁寧に答えるのには慣れている。
他人が苦痛になってしまうことは避けなければいけない。
個人的な質問は私に直接してくださいと言うようにしているが、積極的な人の中に的外れな質問をする人が多く、むしろ黙っている人のほうが、よく話がわかっていることがある。
逆の現象だと思う。
日本人でしっかり質問できる人は、同時に謙虚さも持ち合わせてしまっているのだろうか。
聞かなくても自分で推測してわかってしまい、個人的なことだから、あるいは専門的な質問だからといって、あらかじめ控えてくれる。
日本人独特の特徴だと思う。
長い目でみると、公共的な場での日本人の「質問力」を鍛えるのは非常に大切なことである。
私は大学で「質問力」ゲームをやって、学生たちの能力を鍛えている。
とても簡単なゲームだ。
判人の学生がいたら5人×8チームに分ける。
1つのチームが前に出て順番に自分の好きな本や趣味について短いプレゼンテーションを行なう。
各グループは5人のメンバーに1番から5番まで番号をつけておき、-番の人がプレゼンテーションをした時は、各グループの1番にあたる人が全員立ち上がって質問をする。
2番の人がプレゼンテーションをするときは、グループの2 番にあたる人が質問する。
つまり毎回7人が質問することになる。
早く手を上げた人から質問し、座ることができる。
ただし同じ種類の質問をしてはいけないので、グズグズしていると聞くことがなくなってしまう。
私は学生たちの質問を板書していく。
プレゼンテーターがいちばんいい質問を選んでいく。
教師である私が選ぶのではなく、聞かれている当人が選ぶのがポイントである。
またプレゼンテーターは質問に対していちいち答える必要はない。
まずは質問を出させ、その中で選ばれた1つに対してだけ答える。
メインは質問のほうにある。
選ぶ質問は1つでなく2つでもよい。
質問が選ばれたグループには1点ずつ得点を与える。
こうして各グループがプレゼンテーションを終えた時、得点の多いグループが勝ちになるというゲームである。
ゲームを通してすぐれた質問がわかってくる。
「こんなことを聞いてどうする」という質問はまずカットされる。
「こういう角度の質問もあるのだ」という驚きの質問もある。
あるいは自分が質問を選ぶ側だったら、こういう質問を選ぶのに、今話した人は違うものを選んだということもわかるようになる。
質問が一定レベルを超えると、あとは話し手の好みに左右されることも多い。
話し手がもっとマニアックに話したいのか、それとも違う話をしたいのか、テーマを拡げたいのか、煮詰めたいのか、それによって選ばれる質問が変わってくるのである。
「質問力」のセンスを磨くゲームである。
これをもう少し発展させたメタ・ディスカッションというやり方もある。
「 A まで生テレビ」のように、7、8人が真ん中に座って討論する。
まわりの人がディスカッションを見下ろして、採点するゲームである。
採点者側にまわって上から見下ろす立場に立つと、途端に文脈が見えて来るからおもしろい。
ディスカッションを支配する問いを誰が発しているかがわかってしまうのである。
普通はおもしろい発言をする人に目がいってしまう。
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